『人が神となるか、神が人となるか』※ネタバレ注意

ゴッドイーター初代ストーリーの結論を定義させるテーマである「人が神となるか、神が人となるか」

 

その言葉はアラガミと人類との生存競争をゲーム内の世界観に合わせ、表現したものと思われます。

 

「人を神に」とし続けようとした黒幕シックザール、そして「神を人に」し共存への道を目指したペイラー榊。この二人の対比を表したテーマといえるでしょう。

 

このテーマはこの先続くゴッドイーターシリーズにも陰ながら続いており、このゲームの世界観を形作っている要素ともなっています。

 

今回はそんなゴッドイーター永遠のテーマ『人が神となるか、神が人となるのか』について深堀していきたいと思います。



まずこの言葉を発言したのはペイラー榊です。

 

榊がアーク計画の進捗についてどこまで把握していたかは謎ですが、シックザールからすれば榊ほどの科学者を計画に取り込めるメリットを考慮すれば計画の概要程度の共有はあったと考えるのが自然でしょう。

 

もちろん計画の共有をし、反対の立場なった際のリスクもゼロではありません。何せシックザールが敗北を認める程の天才科学者と対立することになるのですから

 

結果として榊はこのアーク計画には反対となりましたが、彼はどこまでも星の観察者。

あくまで自分の手を加えず『観察』に徹する榊の研究理念を知っていたシックザールだからこそ、榊が直接的な妨害行為に至る可能性が低いと考えていたのかもしれません

 

すこし憶測が過ぎたかもしれません

 

アーク計画は選ばれた1000人を地球外へ飛ばし避難させた上で終末捕食を引き出すというものです。

星のリセットともいえる終末捕食によって人類を含めたほぼ全ての生物、そしてアラガミ。双方を全滅させ、避難させた人類を基に再び地球へと降ろし人類繁栄の時代を作る

 

それがアーク計画であり、榊が「人が神となる」為の計画と表現したものです。

 

対して、ペイラー榊の計画

人間に限りなく近いアラガミを生み出し、終末捕食ギリギリで世界を維持し続けるという考えです。

 

榊はシオという人間と近い進化を遂げたアラガミを発見し、育成していくことでアラガミとの共存の可能性を検証していました。

 

シオと主人公たち第一部隊を利用し、ヒト型アラガミが人間と生活を共にすることでどのように変化していくのかを観測していたのです。

 

この観測はシオの中にある「特異点としての意識」に妨害され、結論を出すには至れませんでしたが主人公たちとシオの関係性を見る限りアラガミとの共存は十分可能であったと思えます。

 

これがペイラー榊自ら「神が人となる」と表現した研究であり、スターゲイザーである彼らしい観測者として榊が信じた可能性です。

 

高度な研究力のみならず実行力やカリスマ性に秀でた秀才シックザールが推す『人が神となる』計画。

シックザール以上の研究力や常識にとらわれない発想力をもった天才ペイラー榊が信じた『神が人となる』可能性。

 

どちらもいずれ来てしまう『終末捕食』という大災害への回答です。

 

しかし運命が選んだのはどちらでもない第3の選択肢でした。

シオは発動した終末捕食を月へと飛ばし、地球での終末捕食を取り除くという手段に出ます。

 

終末捕食は発生せず、アラガミとの共生を託されたシオも地球から居なくなる。

結論、シックザールと榊の争いはどちらも実現されず幕の閉じるのです。

 

これがゴッドイーター初代ストーリーの結末であり、フェンリル極東支部最終的に世界全体を巻き込んだ研究者二人の喧嘩は両者共倒れで終わりました。

 

このゲームのテーマである『人が神となるか、神が人となるか』

一度は榊が敗北を認めたこの対決ではありましたが、ただのファンである私が結論をつけていいのであれば。

 

『人は神になれず、神も人となれない。今はまだ』

とするでしょう。

 

現在ゴッドイーターシリーズはゴッドイーター3までが発売し、ストーリーも初代から10年後を描いていますが未だ人類は神のポジションを取り返すことは出来ず、アラガミも人になり共生するに至ってはいません。

 

フィムのような存在やヒト型アラガミの認知も進んでいる事で少々「神が人となる」未来に状況は傾いているように感じますが

この二人の理論に終止符が撃たれるのはもう少し後なのかもしれません。



※本内容は一個人による考察に過ぎません。

ストーリーを決めつけるものではなく、一ファンの勝手な解釈である点ご留意ください。